風に流されてる場合じゃない

趣味と経験と雑感と偏見と妄想のブログ。25歳アラサーの男。独身。

Facebookにかけない個人的な話。2

普段、思い出とか記念とか記録とか残す世界で生きてるから、写真に残すこと自体が大事という価値観の人と触れ合うことが多かったけど、実はずっと痛烈な違和感があった。

 

 

先日実家に帰ったとき、親のiPhoneのバックアップ取ったりデータ設定やら移行する作業をしていたのだが(親孝行)。

父親にバックアップ取ってないから写真消えても良いのかと尋ねると「消えても別に良い」という反応。

 

 

ハッとした。写真に別に価値があると考えてないのだ。

そういえば、実家にはろくに家族写真なんてないし、僕も実家に帰って写真を一切撮らない。

父親だって、日常的に撮る写真はレントゲン写真ぐらいなものだ(おそらく、自分で撮らず他の人に撮ってもらってそうだけど)。

 

 

実家に帰ったついでに、存在をすっかり忘れていた小学校の卒業アルバムを、おそらく15年ぶりに見てみた。

別に思い出なんてない、小学校の時の友達で残っているのは、同じ中高に行ったごく一部の親友だけで、それ以外は全員疎遠。

記憶にないぐらいだから、別に思い出の価値なんてものはない。

ちょっと前まで仕事だから卒業アルバムの撮影とかしていたけれど、赤の他人の人生の輝いてる瞬間だから、実際冷めた目で見ていた。

 

 

偉い写真家のエッセイとか記事で、写真の力とか価値について語られても、全く響かなくなってしまったし、「それでも私は写真を信じています」とは真逆の、愛のない写真の方が好きだ。

それでも、職業は一応写真家だ。依頼を受ければ撮る。

僕にとっての写真とは、大事な思い出をバックアップすることではなく生活の手段であり、自分を必要としてくれる人がいることで承認欲求を満たすための手段でしかない。

しかも人気とか売れっ子になりたいわけでもない。セルフマネージメントとか営業とか殆ど興味がない。

 

 

何が言いたいかって、よく語られる一般的な価値観に縛られすぎて悩んでる人に、これだけ価値観多様性の時代だし、こういう価値観の人のカメラマンだっているんだよと伝えたい。多分ウケは悪い。