風に流されてる場合じゃない

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波崎シーサイド道路の通行止区間にいってみたら怒鳴られた。通行料が3万に値上げしていた。2019年12月

みなさんは、茨城県神栖市の道路の通行止区間をご存知だろうか。

deepannai.info

普通の道路の一部に私有地が含まれており、という表現は逆であるというか。

地権者が土地を購入してみたら道路が含まれており、道路管理者の町と地権者で揉めた結果、地権者が勝手に道路を塞ぎ始めたりしてトラブルになった土地である。

地権者の名前を検索すると、あれやこれやといろんな逮捕歴が出てくるので、相当なトラブルメーカーと見ていいだろう。

いろんな記事が出てるし、逮捕されてる際の本名も出てくるので、各自で記事は見て欲しい。

シーサイド道路: 障害報告@webry

カフェスタッフと「波崎シーサイドキャンプ場」へ。道路封鎖のキチガイオヤジ。 | 大谷秀政オフィシャルブログ「好きなことだけやって生きていきたい」Powered by Ameba

で、あえてトラブルになることを想定して、自己責任であるがこのアンタッチャブルな場所に行くことにした。

 

 

北側からのアクセスを試みる。ここからは写真多めでの説明になる。

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だんだん迂回ルートの警告看板や廃屋が増えていく。

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駐車「キンシ」の看板とカタカナの看板がそこら中にある。

 

 

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北側からアプローチした際に、この神栖市の看板が目印となる。ここから先が地権者の土地だ。

 

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この部分が、私有地である。ギリギリ敷地外からの撮影をしている。

パトランプがついてる上に、ご丁寧にスピーカーまで付いている。

写真を撮っているとスピーカーから「ここは私有地だふざけんな」という地権者の怒鳴り声が聞こえてきたからそそくさと逃げる。

2019年12月現在、奥で工事のユンボと複数名の人間を発見したが、何をする気なのだろうか。

 

今回、他のサイトではあまりないアプローチでこの私有地に迫ってみようと思った。

シーサイド道路。つまり海の横を走っている道路である。

というわけで砂浜からのアプローチを試みた。

 

 

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これは、土地の境界を示す境界杭じゃないか、、、!砂浜の途中までがおそらく地権者の土地ということか、、、、!

見ての通り、敷地外からの撮影をしている。砂浜なのでおそらくギリギリ私有地には侵入していない。

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私有地外の砂浜の頂上から地権者の土地を眺めようとしたが、正直わからない。

 

 

そして最後に。

通行料が3万円に値上げしていた、恐ろしい。

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Facebookにかけない個人的な話。2

普段、思い出とか記念とか記録とか残す世界で生きてるから、写真に残すこと自体が大事という価値観の人と触れ合うことが多かったけど、実はずっと痛烈な違和感があった。

 

 

先日実家に帰ったとき、親のiPhoneのバックアップ取ったりデータ設定やら移行する作業をしていたのだが(親孝行)。

父親にバックアップ取ってないから写真消えても良いのかと尋ねると「消えても別に良い」という反応。

 

 

ハッとした。写真に別に価値があると考えてないのだ。

そういえば、実家にはろくに家族写真なんてないし、僕も実家に帰って写真を一切撮らない。

父親だって、日常的に撮る写真はレントゲン写真ぐらいなものだ(おそらく、自分で撮らず他の人に撮ってもらってそうだけど)。

 

 

実家に帰ったついでに、存在をすっかり忘れていた小学校の卒業アルバムを、おそらく15年ぶりに見てみた。

別に思い出なんてない、小学校の時の友達で残っているのは、同じ中高に行ったごく一部の親友だけで、それ以外は全員疎遠。

記憶にないぐらいだから、別に思い出の価値なんてものはない。

ちょっと前まで仕事だから卒業アルバムの撮影とかしていたけれど、赤の他人の人生の輝いてる瞬間だから、実際冷めた目で見ていた。

 

 

偉い写真家のエッセイとか記事で、写真の力とか価値について語られても、全く響かなくなってしまったし、「それでも私は写真を信じています」とは真逆の、愛のない写真の方が好きだ。

それでも、職業は一応写真家だ。依頼を受ければ撮る。

僕にとっての写真とは、大事な思い出をバックアップすることではなく生活の手段であり、自分を必要としてくれる人がいることで承認欲求を満たすための手段でしかない。

しかも人気とか売れっ子になりたいわけでもない。セルフマネージメントとか営業とか殆ど興味がない。

 

 

何が言いたいかって、よく語られる一般的な価値観に縛られすぎて悩んでる人に、これだけ価値観多様性の時代だし、こういう価値観の人のカメラマンだっているんだよと伝えたい。多分ウケは悪い。

Facebookにかけない個人的な話。

最近の話。

僕の親戚のひとりに現役の高校生がいて、インスタのストーリーが毎日更新される。

K-POPの軽快なリズムに併せて友達と軽く踊り、顔の周りのハートマークが踊りに合わせて動いている。

おそらく、これが今時の普通の高校生の日常なのだろう。強烈な違和感がある。

 

 

年々、世間一般の感覚とかけ離れていく気がするのはある。

若い人とノリが合わないとか、時代が違うとか、そういうのではない。

 

例えばタピオカに並ぶ、ディズニーにいく、インスタを盛る、流行りの音楽や文化を嗜む。かわいいものをかわいいという。

普通の人が普通に考えたり楽しんでいることと、僕の感覚や思考があまりにもかけ離れている。

世の中から疎外されているかのようだけれど、きっとマイノリティなのはこちらだろう。

 

 

結婚式とか出産、子供の入学式卒業式、運動会、七五三、その他主役になったりする、いわゆる人生の晴れの日のそばに、毎日のようにゲリラ豪雨の降り続ける僕は居てはいけないのかもしれない。水差しどころか豪雨である。

 


私は捻くれたオジさんになった。老害と呼ばれる大人にならないように気をつけないといけない。